Balletweek Magazine

 

~公演インタビュー~

ヒューストン・バレエ団来日公演

『オープニング・ガラ』&『ジゼル』

Balletweek Magazine 独占取材

NEW 2025.4.28  更新

 <アメリカ ヒューストン・バレエ団プリンシパル

鍛冶屋 百合子さんインタビュー

子供時代のバレエとの出会いからアメリカで輝く現在へ!

 

宝石箱を開けたような様々な作品を楽しめる公演

『オープニング・ガラ』&『ジゼル』

 

 

異国の地にいながら、強い精神力を持ち努力を続けた10歳の少女、ピュアで真剣なまなざしでバレエに立ち向かい、

勝ち取ったローザンヌコンクールへの道、

鍛冶屋さんのスタート地点から、今回の公演に馳せる思いまでを

インタビューしました。

 

🌟『オープニング・ガラ』&『ジゼル』公演情報はこちら☞🌟


◆プロフィール◆ 

鍛冶屋 百合子

(Yuriko Kajiya)

 

8歳でバレエを始める。

中国国立の上海舞踊学校で学び、奨学金を得て主席で卒業。

2000年 ローザンヌ国際バレエコンクールでローザンヌ賞受賞後、カナダ国立バレエ学校で学ぶ。

2002年 ABT(アメリカン・バレエ・シアター)入団。

2014年よりヒューストン・バレエで活躍。

Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100人」、TIME誌「次世代リーダー」などでも紹介された。

国際的なキャリアが評価され、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。 

■■自分で道を切り開いた一人の小さな少女――鍛冶屋百合子さんがバレリーナになるまでの道■■

 

★バレエウィーク(以下BW)★ 子供のころから日本ではなく海外でバレエに励み、様々な国で留学やバレエ団入団をされ、今、アメリカのバレエ団でご活躍されていることに大変興味を感じます。そのような経歴に至った鍛冶屋さんの出発点である子供時代とはどのようなものだったのでしょう?

 

★鍛冶屋★ 経歴だけみると、みなさん小さいころからバレリーナを目指して海外へ行ったのかと思われることが多いのですが、実はそうではないんです!初めは週1回くらいバレエを習っていただけで、そこまで真剣に取り組んでいた訳でもなく、バレリーナを子供時代から目指してもいませんでした。たまたま父が転勤で上海に住んでいたので、上海にゆかりがあり家族で行き来していました。

 

せっかくの機会なので中国での文化交流を体験するくらいの気持ちで短期留学でもしてみようか?という話になり、上海舞踊学校に入ってみたのです‼まさか自分でも6年も通うことになるとは思いませんでしたね(笑)。両親もバレリーナにするつもりがあった訳でもありませんでしたし。その学校は完全な寮生活で、学業とダンスを習うとても厳しい学校でした。国立の舞踊学校だったので中国人優先で、バレエの才能が突出している訳でもない普通の日本人の女の子に先生の目が特別向くこともなく、日々厳しい状況でした。当時は中国が発展途上で生活条件も良くない時代でしたので、学校側からも日本人の子供がここで長く一人で留学生活をしていくのは難しいだろうとも言われていました。なので2か月後くらいに母が「帰国しよう」、と学校まで引き取りに来たのです。でもその時に自分で「残りたい」と決めたんですね。それはバレエが好きだったからではなく、ここで帰ってしまったら始めたばっかりのことをこんなに早く辞めていいのだろうか?と10歳、小学4年生ながらに思ったのを覚えています。

 

13歳くらいからヴァリエーションを教えてもらえるようになって、ようやくバレエが楽しいと思えるようになってきました。先生にも褒められるようになってきたのです。他の生徒と同様には見てもらえなかった中国人優先の学校の中で、それがとても嬉しくって(笑)!「練習したら上手になれるんだ。もっと練習して先生に褒められたい!」と思うようになり、踊ることが楽しくなってきたのです。13歳くらいからバレエの虜になりましたね。

 

14歳の時に名古屋の愛知劇場でコンクールがありました。帰国したタイミングで家族が録画していてくれた「ローザンヌ国際コンクール」をテレビでよく見ていたのですが、その時に名古屋出身のダンサーが賞を受賞したのを見たのです。そこまで年齢が変わらず、しかも同じ名古屋の子にすごくインスピレーションを受けて憧れを持つようになり、それをきっかけにローザンヌコンクールに出ることが夢になったのです。

 

そして翌15歳の時に夢がかなったのです。当時は同じ学校からの出場は4枠のみという規則でした。学校側も国の生徒を出したいので、初めは4枠は中国人の生徒でということになりました。ですが、ローザンヌへの出場は自分の中でのこの時のゴールだったので、それをそんなに簡単にあきらめることはできなかったのです。学校に交渉し、親とも話してもらい、公平に選別会を行い、上位4名に入れたら出場権をもらうという条件に漕ぎつけたのです。そしてなんと無事に上位4名に入ることができ、ローザンヌへの切符を手にしたのです。「努力をすればなんとでもなるんだ‼」と子供心に思いましたね‼

 

 

★BW★ 素晴らしすぎるお子様だったのですね(笑)‼ 努力を怠たらず、あきらめない精神がとても前向きで尊敬できます。その後コンクールをきっかけに今度はカナダ、アメリカへと進んでいったのは、どういう理由だったのですか?

 

★鍛冶屋★ ローザンヌコンクールでローザンヌ賞を受賞しました。このコンクールの趣旨は将来に向けて手助けをし、夢を与えるコンクールです。受賞することで世界各国の有名なバレエ学校に留学できますし、年齢が少し上の人は有名なバレエ団の研修生にもなれます。私は最年少の15歳でしたので、学校へ留学できる権利を頂いたのです。

 

ですが、当時の中国ではインターネットもなく情報もないので、どこに留学したらいいのか全く分かりませんでした💦各バレエ団がどんなバレエをしているのか、どんな団員がいるのかも分かりません。知識もありませんでしたので、コンクール側にどこに行ったらいいのか聞いてみたのです。ローザンヌ側から、今までの上海のスパルタ教育とは正反対のところに行ってみたらどうかという提案を頂き、カナダナショナルスクールを推薦されました。そして言われた通りにまずは進むことにしたのです。そこは上海舞踊学校とは打って変わって、スパルタではなく、いつでも練習できるスタジオの環境もなく、違いすぎる環境に初めは驚きましたね。そこは、一人の人間としてダンス以外のことにも教育の目を向けているような学校でした。環境があまりにも異なったためストレスを感じるほどでした。そんな状況でしたので、英語も話せない中、校長先生に「いつでも練習できるようにスタジオを開けてもらいたい。もっと練習したい。」などと交渉しに行ってみたのです。そうしたら二日後くらいにはスタジオも改善され、百合子はもっとレベルの高いクラスも受けるべきだと言って下さり、急にクラスも上げてくれたりし(笑)、いろいろと理解もしてもらえたのです。カナダの1年がなかったら、その後のニューヨークでさらなる多大なカルチャーショックを受けていたと思うので、カナダでの日々はとても貴重だったと思っています。

 

カナダの寮生活の中で、『センターステージ』というバレエ映画が当時流行っていました。私も、その主演のジュリー・ケントさんに憧れを持つようになりました。また『ABT NOW』というDVDも寮でよく見ていました。その舞台であったAmerican Ballet Theatreに強く惹かれ、ABTに入団したいと思ったのです。そしてABTのプライベートオーディションを受けに行く運びとなりました。そのオーディションの現場で、なんと憧れの『センターステージ』で主演を務めたジュリーさんにお会いすることができたのです。ABTに入る前から会っていた彼女は、なんと今はヒューストンバレエでの自分の監督なのです!

 

そして17歳でABTのスタジオカンパニー(ジュニアカンパニー)に入ることができました。またまたここで運命的な出会いがあったのです!入って1日目のリハーサルで振付をしていたのがたまたまスタントン・ウェルチさんだったのです。今回の来日公演の芸術監督です(笑)。ここにも現在への大切な繋がりがあったのです‼ 彼自身も若手振付家で初めてABTで振付をされていました。彼は2つ作品を創作していて、1つはジュニアカンパニー用、もう1つはメインカンパニー(本団)用でした。そのメインカンパニーに振付していたものが今回上演する『クリア』なのです。これは7人の男性と1人の女性で構成された作品で、オリジナルキャストはなんとジュリーさんでした。今回は私がその1人の女性をやります!

実は、今までの自分の過去を振り返るとどこかで全部が繋がっていて、その繋がりが生み出したものが今の自分であるということに本当にびっくりします!!!

 

その後、私はABTのジュニアカンパニーからABTバレエ団に上がったのですが、その時、スタントンさんは悔しがっていたという話を後から伺いました(笑)。当時彼の在籍しているオーストラリアバレエ団に来て欲しかったと思って下さっていたようで!また、もう1つ当時おっしゃっていたことが、『蝶々夫人』を私に踊ってほしいと考えていたようでした。その後、現在のヒューストンバレエ団に移籍するのですが、そこでスタントンさんと再会し、このように『蝶々夫人』を踊らさせて頂くことになりました。今までの出会いと繋がりに驚きと感謝を隠せませんね!

 

 ★BW★ 目標に向かって強く進んでいけば、夢がかなうのですね。憧れを持つことの大切さを今日、鍛冶屋さんから学んだような気がします!

 

■■宝石箱を開けたような、一つ一つが輝いている作品群が詰まったガラ公演の見どころとは?■■

 

 ★BW★ この公演のラインナップを見た時に公演が贅沢すぎる!、と思っていたのですが、いろいろとみなさんの今までの思いと歴史がいっぱい詰まっていたのですね。その一つ一つの思い入れがある上で、日本のみなさんに今回観ていただきたいところはどんなところでしょうか?

 

★鍛冶屋★ 日本のみなさまによりヒューストンバレエ団の特徴を知ってもらうためには、ガラ公演を観て頂くことがとてもよいと思っています。今回のガラ公演作品はすべてスタントン・ウェルチさんの作品です。ヒューストンバレエ団の振付の幅の広さもお楽しみ頂けますし、一人一人のダンサーがどのようなダンサーなのかもお分かり頂けるかと思います。今回の作品は、まさにヒューストンバレエダンサーたちの宝石箱のような、みんなが輝いている作品だと思っているのです!

観て頂いた方には、きっと自分のお気に入りのダンサーを見つけることができる公演になっていると思いますよ‼

 

 

 ★BW★ ヒューストンバレエ団らしさを感じられるような構成の作品群になっているのですね。さらに楽しみになってきました!!そのバレエ団を代表するような個々の作品についての特徴を少し教えて頂いてもよろしいでしょうか?

 

★鍛冶屋★ 作品自体、すべて日本では初公演のものです。個々の作品の特徴が全然違う5作品になります。『ヴェロシティ』と『蝶々夫人』はとても古い作品です。この2作品はスタントンさんがまだオーストラリアバレエ団にいらした時にオーストラリアバレエ団用に振り付けた作品でした。先ほどお話しましたが、『クリア』はABTバレエ団用に、そして『シルビア』と『魂の音』はヒューストンバレエ団用に創作したものです。

 

古いとお伝えした『蝶々夫人』はスタントンさんが23歳の時に初めて振り付けた全幕作品でした。作品としては30年以上経っているもので、初演の時のオープニングキャストはオーストラリア人でしたが、その年の他のキャストには吉田都さんがいらして、当時スタントンさんの弟と踊っていたのです。スタントンさんはオーストラリアで有名なバレエ一家だったのです!ご両親もオーストラリアバレエ団にいらして。ご自身も踊っていた時期がもちろんありましたが、全幕バレエをやると女性の方が踊る場面がもちろん多いですよね。自分がバレエ団にいた時のリハーサル中の待ち時間の長さ(笑)などの経験を踏まえて、スタントンさんの作品は女性も男性も出番がとても多い構成としているようですよ。

 

この『蝶々夫人』と『シルビア』は全幕作品の中から抜粋しているパ・ド・ドゥになります。

数か月前に『蝶々夫人』をニューヨークで上演したのですが、ストーリーのあるとても内容の濃い作品になっているので、ニューヨークの観客の方々には、「抜粋にも関わらず、全幕バレエを観ているような気分になり、作品に入り込めた」と言って頂けたのが印象的でした。その後、全幕が観てみたいと言って下さった方もいらしたくらいです。オペラの曲を使っており、その音に非常にマッチしたステップとなっていて、その上スタントンさんのパ・ド・ドゥのテクニックがアクロバティック過ぎて、難易度が高すぎるのです。例えれば、サーカスを見ているように思えるくらい(笑)。こんなに難易度が高すぎるのに感情的に入り込めるという演出が素晴らしいところだとも思います。ヒューストンのお客様は見慣れていますが、ニューヨークの方々にとっては新鮮だったようで、度肝を抜かれたというような感想を多くの方から言われました。日本のお客様の反応も今からとても楽しみです。

『シルビア』の方はチャーミングなのですが、こちらも難易度は高いです。スタントンさんの求めるものが高すぎるのですが、ダンサーも身体能力が高くないとついていけないのです。『ジゼル』ではそのようなことはしませんけどね!

 

 

★BW★ 『魂の音』と『ヴェロシティ』はまた全然違う雰囲気なのですか?

 

★鍛冶屋★そうですね。 『魂の音』は当時ヒューストンバレエがピアニストのランランさんとのコラボレーション作品としてフランスで公演したものでした。ランランさんが舞台でピアノを演奏し、スタントンさんがその曲にパ・ド・ドゥを振り付けたものになります。『ヴェロシティ』や『クリア』のダイナミックな作品とは違う、とてもシックな作品です。こちらはアクロバティックなことをしている訳ではないのですが、それでもまたすごく難易度が高く(笑)、コントロールがとても難しい作品です。ショパンの曲を使っているので、とても美しいです。

 

『ヴェロシティ』に関しては、1幕完結の作品ですが、これも(笑)難しい作品なのです。ストーリーはないのですが、ヒューストンバレエの身体能力の高いダンサーのソロがいっぱい詰まっている作品です。私も踊ったことはありますが、今回は別のダンサーが踊ります。ヒューストンバレエのダンサーの身体能力を存分にお楽しみ頂けると思います。

 

是非、『ジゼル』と合わせてガラ公演も観て頂きたいです。

全く違うので、違いを楽しめるという意味でも両方観て頂ければうれしいです!

 

■■スタントン・ウェルチ版 『ジゼル』の真相とは・・・■■

 

★BW★ では、今回の全幕作品『ジゼル』はヒューストンバレエ版として、私たち日本人がみて新鮮な部分はどのようなところなのでしょうか?

 

★鍛冶屋★ スタントンさん演出の『ジゼル』は彼なりのツイストも入れています。恐らく、この音楽あったっけ?というようなことろが多いと思います。通常の『ジゼル』では、オリジナルスコアから削除されている曲が意外と多いのです。みなさんが親しみのある『ジゼル』よりも20分くらい長いと思います。一番特徴的なのは、ジゼルの狂乱するシーンが2~3倍の長さになっているところです。その分、よりドラマチックに感じていただけるでしょう。このスタントンさんの『ジゼル』を一度やると、1人の人間としてのドロドロとした感情や、葛藤を演じながらとても感じられます。最後に亡くなっていくところも非常に見ごたえがありますよ。

 

 

★BW★ ご自身でイメージされている役作りなど、気を付けていることはどのようなところなのでしょう?

 

★鍛冶屋★ ジゼルを踊るにあたって、ジゼルは亡霊でも他のウィリーとは全く違っていていいと思っています。何が違うかというと、冷たさが違うのです。ジゼルはまだ魂はこの世に残っているような、亡霊になったばかりで、生身のある亡霊なのです。つまりまだ温かみのある亡霊。彼女はまだ亡くなったばかりですし、アルブレヒトを助けたいと一心に思う気持ちがあるので、温かさがあるジゼルでよいと思っています。冷たい無表情さで死の世界を表してはいないという解釈でやっているところが、通常とは少し異なると思われるかもしれません。

 

スタントン版『ジゼル』は初演が2016年、次が2019年、そしてその次が今回です。2回踊っていますが、それぞれ踊り終わった後の自分の気持ちが全く違いました。もちろん全く同じではいけないと思っています。経験も積んでいるし、常に成長していないといけないとはいつも思っているのですが、2016年は彼を救えたという安心感、無事に踊れたという安心感からか、ほっとした気持ちでした。2019年は踊って舞台袖に入った後に、彼を残して消えないといけないことが悲しすぎると感じたのを覚えています。演じ終わった時の感情が毎回違います。今回の日本公演ではどのような感情になるのかも自分の中で楽しみです!

 

 

■■これからの目標、そして今回の公演に向けて・・・■■

 

 

 ★BW★ 今までのご活躍もすでに大変すばらしいですが、これからの鍛冶屋さんの目標、目指すところはどのようなことなのでしょう?

 

★鍛冶屋★ 経験を積むに連れて、その時その歳に合ったことをやっていけたらと思っています。ABTに在籍していた13年間と現在のヒューストンバレエ団での10年間では、レパートリーがガラっと違うのです。真逆と言ってもいいくらいですね。ABTは若手でしたし、若さやエネルギッシュな印象が必要な役が回ってきました。その時は自分がまだ経験を積んでいないので、他の大役をやりたいとさえ思えなかったですし、できるとも思いませんでした。ヒューストンバレエに移った時には、シックでドラマティックな作品が合っていると思って下さり、ABTではあまりやっていなかったパ・ド・ドゥなどに挑戦する機会を頂き、新しい一面をスタントンさんに見出して頂き、可能性を広げてもらいました。ヒューストンバレエの入団を機にドラマチックな『蝶々夫人』や、『マノン』などの作品も踊らさせて頂いています。今後も経験と歳に合わせて新たな役に出会い、挑戦できることが今はとても楽しみに思っています。

 

 

★BW★今回のヒューストンバレエ団を代表するような作品で構成された日本公演を目の前に、鍛冶屋さんとしてはどのような方に観ていただきたいと思いますか?

 

★鍛冶屋★ 私自信がローザンヌコンクールに出たきっかけも同じ名古屋の身近な方にインスピレーションを受けたためでしたので、この舞台を観て、これからの若いダンサーの皆様に海外で踊ることの可能性をもっと知ってほしいと思っています。これからダンサーを目指す方々のインスピレーションに私がなることができたらとても嬉しいと思っています。

 

また、多くの方にアメリカバレエの面白さを知っていただきたいと思っています。実は、アメリカのバレエ団が日本に来る機会はとても少ないのです。前回のヒューストンバレエの来日公演が2022年でした。その後まだどこのアメリカのバレエ団も来日していませんし、その前は、なんと2014年の他のアメリカのバレエ団の来日公演まで遡るのです。アメリカバレエを観て頂く機会が大変少なくとても残念なのですが、観に来てくださったすべての方に、アメリカのバレエを通してアメリカの文化をも感じてほしいと思っています。

 

アメリカの場合、やはりブロードウェイの文化の影響は切っても切り離せないと感じています。ブロードウェイが好きな方、ミュージカルが好きな方、アメリカ好きな方にはより楽しんでもらえると思うのです。アメリカの文化はやはりエンターテイメント性が高いというところが特徴です。バランシンなどの作品もアメリカバレエの文化を語る上で非常に影響力を感じます。今回のスタントンさんの作品もとてもエンターテイメント性が高いのです。

前回のヒューストンバレエ来日公演にてスタントン版『白鳥の湖』を上演した時も、日本のみなさんが知っているロシア版『白鳥の湖』とは大きく違い、大丈夫かな?と思いましたが、「アメリカのバレエって面白い!!」と言ってくれる方々が多かったのです。ストーリーが面白いとも言って頂きました。私も日本のお客様の反応がとても勉強になりました。

 

今回はヒューストンバレエ団員全員が来日します。メンバーみんな日本が大好きで、今からとても楽しみにしています!演目も多いので滞在も長く、メンバーにとってもより充実した来日となるでしょう。

そして、ヒューストンバレエは私含めて6人もの日本人ダンサーがいます。日本のお客様にヒューストンで活躍する他の日本人ダンサーにも注目していただきたいです。

是非、そんなメンバーの私たちに会いに、劇場へ足をお運びください!

 

★BW★ 鍛冶屋さん、貴重なお話ありがとうございました。私たちもお話を聞いて、ヒューストンバレエ団に大変興味を感じました。夏の公演が楽しみです!

 

ヒューストン・バレエ『オープニング・ガラ』/『ジゼル』の公式ページはこちら 

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◆◆◆公演情報◆◆◆

2022年の初来日公演で鮮烈な印象を残したヒューストン・バレエが待望の再来日!

ヒューストン・バレエ『オープニング・ガラ』/『ジゼル』

 

『オープニング・ガラ』

  星屑のように散りばめられた高難度のステップと音楽の融合。スタントン・ウェルチの才華溢れるダンスの銀河!

  日程 2025年7月3日(木) 19:00開演(18:15開場)

  会場 東京文化会館 大ホール

 

  日程 2025年7月10日(木)19:00開演(18:15開場)

  会場 愛知県芸術劇場 大ホール

 

 『ジゼル』

  壮麗な舞台美術と充実した舞踊シーンで紡ぐ愛と裏切り、そして赦しの物語。

  日程 2025年7月5日(土)  14:00開演(13:15開場)/19:00開演(18:15開場)

     2025年7月6日(日)  13:00開演(12:15開場)

  会場 東京文化会館 大ホール

 

  日程 2025年7月12日(土)13:00開演(12:15開場)

   会場 愛知県芸術劇場 大ホール

 

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