◆◆◆ 第2章 ◆◆◆ 

『苦しさの先に見えたもの』 

NEW 5.26  更新

 バレエを始めて劇的に変わった事、それは「食」だった。今までは食事の時間が恐怖に感じる程食が細く、よく父からは「洗濯板」(→今や時代劇でしか実物を見るのは難しい)と呼ばれていた。それがいつしか食事の時間が待ち遠しく、母の手料理がこんなにも美味しかったのかと自分でも驚いた。

 

 夢にまで見たバレエのお稽古は、思い描いていたものとはだいぶ違っていた。地味な動作の繰り返し…。そんな動きさえもままならない日々だったが、先生は忙しい合間に私達生徒をバレエの映画に連れて行ってくれたり、時には厳しく叱ってくれた。そして松山バレエ団の美しい舞台を観に行く度に「私もいつかあの場所に…」愛情に満ちた2年間が更に私を夢中にさせた。

 

 いよいよ松山バレエ学校の門を再び叩く。2年前の古い建物から立派なお稽古場に生まれ変わっていた。私が入った中学生クラスは皆3歳4歳から進級してきたレベルの高い生徒たち…松山バレエ団総代表自らクラスに出向き、熱い指導を行う日もあった。そんな中で、自分が何も出来ていない事も、何がわからないのかも気づかない…まわりとの差はかなりなもので、だいぶ浮いた存在だったと思う。皆に追いつこうと稽古日を増やしたものの、なかなか思うように身体は動かず、頭も回らず、いつしか「私はやはりバレエに全く向いてないのでは?」と考えるようになっていった。

 

今思えばたかだか3年や4年で思うように踊れる程バレエは簡単ではない。そもそもバレエに向いているとは何か?と聞かれたら、今なら迷わずこう答える。「向いていない人などいない、継続出来るか出来ないか、それに尽きる」と。

 

バレエを始めて5年が過ぎた。

高校生になると、バレエ学校最高学年のクラスに進級する事になるが、同学年の友達が皆進級して行く中、1人取り残された…。

新学期が始まって、小学生クラスから進級してきた子達と一緒のお稽古…。不思議にも疎外感や劣等感等そこには全く無く、自然に溶け込めたのも松山バレエ学校の校風に他ならない。いつもそこには温かい愛情があった。

 

しかし…最高学年クラスに進級してからは厳しさを強く感じる日々。目の前には準団員のクラスが控え、皆目標に向かって必死だった。

バレエを始めて以来、初めて「苦しい」と思った。好きな気持ちは変わらずあったが、バレリーナになりたいという夢はもはや「妄想」と化していた。このまま続けていても…と度々考えるようになり、いつしかバレエ学校に向かう足どりも重くなっていった。

重くなったのは気持ちだけでなく体重もだった。高校のクラスメイトと学校帰りにドーナツを食べるのがほぼ日課になり、1日で10個食べた日もあった。最高学年の厳しいクラスでは、私が何kg太ろうが誰も何も言ってくれない。

母からの耳の痛い小言には幼稚な反論をならべて現状を認める事は無かったが、いざ体重計にそっと乗ってみて愕然とした。

 

やはり何事も自分自身で気付き、認めなければ先には進めないのだ。大好きなドーナツもやめて気持ちも新たに出直し、進路を決める歳になった。勇気を持って両親に「実力的には難しいが、バレエ団に入りたい」と。どうやって入団出来るのかも良くわからないままだったが、両親は「ダメでも良いからやれるところまでやりなさい」と言ってくれた。 

大きな理解と愛情を胸に朝のクラスに進級した。

 

このクラスはバレエ団の舞台で既に活躍している若手と、私のように最高学年クラスからバレエ団に入りたくて進級した生徒がいる。

新学期から1ヶ月、いつものように朝のクラスを終えて、仲間たちと帰ろうと外に出た時、2階の窓からバレエ団総代表に呼び止められた。私?半信半疑で稽古場に戻ると…

「今日これから劇場入りするんだけど、時間空いてる?手伝いに来ないか?」と!!!

 

 

 

 

奇跡が起こったのだと思った。

その日は約束があったが、「空いてます‼」と即答した。今のように携帯電話などない。約束はすっぽかした。

 

苦しさの先に見えたもの...それは夢が夢でなくなるかも知れない未来だった。

 

 

☞第3章へ続く(6月配信予定)

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◆◆◆ 第1章 ◆◆◆ 

『諦めなかった先にあったもの』 

NEW 4.28  更新

 1971年、6歳の時に初めて観たバレエ「白鳥の湖」。今、正に悲しい出来事の中にある「ボリショイ、レニングラード合同公演日本ツアー」だった。この世に生まれてたったの6年しか経っていない少女の目に、そのあまりに美しい夢の世界が彼女の人生を大きく変える事になる程衝撃的に映った事は言うまでもない。

 

その日を境に毎日「バレエを習わせて」と母にお願いするも決して叶う事はなく、気がつけば4年もの間日課のようにお願いし続けたある日…「あなたには根負けしたわ」と母からの言葉。諦めかけていた胸の奥に押し込めていた思いが爆発した瞬間だった。

 

この日の週末、逸る気持ちを抑えながら松山バレエ学校の門を叩く!

扉を開けると今まで嗅いだ事のない素敵な匂いと共に聞こえてきたトウシューズの響き...そして次の公演に向けてであろうリハーサルをしていた松山バレエ団の美しいバレリーナ達の姿にただただ呆然と見とれていた…

 

母はしきりに稽古着姿の男性と話をしていて、その表情は困惑しているように見えた。話が終わり「帰りましょう」と母の表情で何か嫌な予感、今考えれば当然だったのかも知れない事実を突き付けられた。

当時10歳、身長も既に150㎝近くまでに成長していた私に入学できるクラスは無く…(その15年後に「バレエの神様っていたのだ‼」と確信するような驚く出来事が…)結論は厳しいものだった。

 

肩を落としてバレエ団を出ようとした時、「待って下さい、住所を見たらお宅のそばで私、お稽古場を開いたばかりです。よろしければバレエ学校に通えるようになるまで習いに来ませんか?」

リハーサル途中に走って来た額の汗がキラキラに輝いていて「なんて美しいバレリーナ」...

絶望から一気に光を与えてくれた私にとって最初の先生との出会いだった。

ただ、近所というには少々遠く、バスと電車に乗り継いで1時間、それでもお稽古日を心待ちにする日々だった。

 

諦めなかった先にあったもの…それは、夢への第1歩だった。

☞第2章へ続く(5月配信予定)

 

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